「私は葬式というものがキライで、出席しないことにしている。」これは、坂口安吾の「私の葬式」という一文の冒頭部分です。
坂口安吾といえば、無頼派と呼ばれる作家のひとりで、この作品も安吾らしい皮肉の効いた文章ですが、終戦直後くらいに書かれた当時の受け取られ方はわかりませんが、葬儀など不要だという人が増えている現在においては、共感する人も少なくないのではないでしょうか。
安吾は自身の葬儀についても、「私の骨なんかは海の底でも、森の片隅でも、どこか邪魔にならないところへ、なくして貰いたいと思っている。」「僕は身辺の人に、告別式というものや、通夜というものはコンリンザイやらぬこと、かたく私の死後をいましめてあるのである。」などとしています。
安吾は、「生きること、全我を賭けて努力し生きることを知るものには、死後はないと私は思う。」と述べ、死後のことより今を精一杯生きることが大事だとしています。
ただ、「もっとも、法要というようなものは、ひとつのたのしい酒席という意味で、よろしいと思っている。」とも述べ、無頼派らしい安吾の面目躍如とも言えるかもしれません。
そして、愛人に対しては、死んだら一人で葬儀を行い、後は友達を呼んでどんちゃん騒ぎをしなさい、「お墓なんか、いりません」と言い渡してあるとしています。
お経や焼香を不要だとしており、「そんなことをやられたら、私は坊主の頭をポエンとやって、焼香の友人の鼻をねじあげてやる」とユーモアたっぷりに締めています。
もっとも、狂気と紙一重のところにいて作品を生み出した彼のことですから、普通の人とは違うでしょうし、ひととして葬儀はきっちりやるべきだと考える人の方が多いのでしょうが。







